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大阪回春性感エステティーク 谷九店性感エステ
るり
22歳 T154 B90(G) W58 H92
体
験
談
験
談
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るり(エステティーク谷九店)
【ガス人間第一号】
どうも、ルリです。『ガス人間第一号』(1960年、東宝)を視聴した。怪獣は出てこなかったものの、終始どこか不穏な雰囲気で、最後の最後まで分からない結末には心を動かされた。
[あらすじ]
東京で、銀行がギャングに襲われる事件が起こった。ギャングの一味が運転する車を警察が追っていたところ、五日市街道でギャングの車が転落した。しかし、車内を確認しても誰も居なかった。近くにあった日本舞踊の落ち目の名門・春日藤千代の家を訪ね、家人に聞き出すも、誰も人は来ていないと返された。
その翌日、また別の銀行で施錠状態の金庫室から、大金が盗まれる事件が起こった。行員は窒息死しており、現場には何一つ証拠が残されていなかった。そのうえ新聞社には犯行予告の電話も掛かってきた。しかし予告された時刻になっても現場にギャングは現れず、別現場にてギャングが逮捕され、その1人が犯行を自供した。
だが後日、藤千代の自宅から大金が発見された。さらに、新聞社には自らが事件の真犯人であり、藤千代に金を渡したと暴露する男・水野が訪ねてきた。水野が犯行を再現しようと警察らを銀行に連れていくところから、物語はさらに展開していく。
さて、印象的であったのは下記である。
■静かだからこそ悲痛な最期
➔水野は体をガス状にできる“ガス人間”であり、それを利用して犯行に及んでいた。また、藤千代を愛するがゆえに、落ち目の彼女に金を渡して発表会の開催を支援した。
警察は発表会の日に観客らを避難させ、中に水野だけを残して会場ごと爆破する計画を実行したが不発に終わり、治安を脅かす水野をもう仕留められないと落胆していた。
しかし、演目を終えた藤千代に水野が駆け寄って抱擁した際、藤千代は背中に回した手に握ったライターで水野に点火し、劇場ごと、水野と自らをも巻き込んで爆破した。警察は劇場の外にいたため、計画が失敗したのに何故爆破できたのかと疑問の声を上げた。
大規模な爆発の裏で、藤千代の静かな覚悟と悲しい最後があったことを知る者が、藤千代と視聴者だけであるというのがなんとも遣る瀬無い。だが、水野はそれに気づいていたのか、気づいていたらどのような心持ちだったのだろうか、と考えるとさらに物悲しくなった。
最後水野はガス状になって、衣服を引きずりながら劇場外へ出てきたが、その動きは死を覚悟しながら苦痛に耐え、ゆっくりと進む痛ましいものであった。そして、脳が一瞬光り、黒ずんで力尽きた。この最期を見ると、なお水野の心中を考えることが憚られたのである。
そして、ガス人間・水野の行いは脅威であり裁かれるべきことではあるが、藤千代との結婚も夢見た真っ直ぐな愛情も描かれるために、より物悲しいラストシーンに仕上がっている印象を受けた。
また、藤千代も警察の調査の中で、自分の受け取った大金が犠牲の上で入手されたものであると分かった時、今までの優しさを受け止めながらも、水野に背を向けることを薄々決めていたのではないかと感じられた。
そのうえ、序盤に描写された闇夜の中で舞う藤千代の稽古姿は、妖しさを湛えた、美しくも幻想的な世界へ誘うようであった。これらの要素が、静かに作品の雰囲気を作り上げ、結末の印象を引き立てている風に感じられた。
さらに、藤千代の発表会での演目名は「情鬼」で、“じょうき➔蒸気➔気体➔ガス”をそれとなく連想させるのも、良いアクセントになっていた(「常温・常圧でも気体の物質がガスの定義であるから、蒸気=ガスではない」という指摘は不要である。あくまで“連想させる”という話であるから)。
あらためて、本作は鑑賞後に虚しさが立ち込め、胸に強く残る作品であった。怪獣が出てこない点で最初は物足りなさを憶えたものの、人間の感情が静かに渦巻き余韻を残していく話であったことから、最終的には怪獣が居なくとも見応えを感じられた。東宝特撮にはこうしたテイストの作品もあるのだと、むしろ新発見の興味深さすら憶えた。
次回は『美女と液体人間』(1958年、東宝)を視聴する。調べたところ、『ガス人間第一号』は“東宝変身人間シリーズ”3部作の1つであり、『美女と液体人間』はその第1作目であると分かった。やはり古い年代順に見ていくというスタンスで進めていくため、多少前後はしたがまずは3部作を全て見てから怪獣モノを視聴したい。
そして、『美女と液体人間』および『電送人間』では、『ゴジラ』『空の大怪獣ラドン』『キングコング対ゴジラ』で博士役を演じられている、平田昭彦さんが出演される。平田さんの演技は深みと見応えがあるため、楽しみである。
ほんじつも精一杯お癒やししますので、のんびりしていってください。よろしくお願いいたします。
どうも、ルリです。『ガス人間第一号』(1960年、東宝)を視聴した。怪獣は出てこなかったものの、終始どこか不穏な雰囲気で、最後の最後まで分からない結末には心を動かされた。
[あらすじ]
東京で、銀行がギャングに襲われる事件が起こった。ギャングの一味が運転する車を警察が追っていたところ、五日市街道でギャングの車が転落した。しかし、車内を確認しても誰も居なかった。近くにあった日本舞踊の落ち目の名門・春日藤千代の家を訪ね、家人に聞き出すも、誰も人は来ていないと返された。
その翌日、また別の銀行で施錠状態の金庫室から、大金が盗まれる事件が起こった。行員は窒息死しており、現場には何一つ証拠が残されていなかった。そのうえ新聞社には犯行予告の電話も掛かってきた。しかし予告された時刻になっても現場にギャングは現れず、別現場にてギャングが逮捕され、その1人が犯行を自供した。
だが後日、藤千代の自宅から大金が発見された。さらに、新聞社には自らが事件の真犯人であり、藤千代に金を渡したと暴露する男・水野が訪ねてきた。水野が犯行を再現しようと警察らを銀行に連れていくところから、物語はさらに展開していく。
さて、印象的であったのは下記である。
■静かだからこそ悲痛な最期
➔水野は体をガス状にできる“ガス人間”であり、それを利用して犯行に及んでいた。また、藤千代を愛するがゆえに、落ち目の彼女に金を渡して発表会の開催を支援した。
警察は発表会の日に観客らを避難させ、中に水野だけを残して会場ごと爆破する計画を実行したが不発に終わり、治安を脅かす水野をもう仕留められないと落胆していた。
しかし、演目を終えた藤千代に水野が駆け寄って抱擁した際、藤千代は背中に回した手に握ったライターで水野に点火し、劇場ごと、水野と自らをも巻き込んで爆破した。警察は劇場の外にいたため、計画が失敗したのに何故爆破できたのかと疑問の声を上げた。
大規模な爆発の裏で、藤千代の静かな覚悟と悲しい最後があったことを知る者が、藤千代と視聴者だけであるというのがなんとも遣る瀬無い。だが、水野はそれに気づいていたのか、気づいていたらどのような心持ちだったのだろうか、と考えるとさらに物悲しくなった。
最後水野はガス状になって、衣服を引きずりながら劇場外へ出てきたが、その動きは死を覚悟しながら苦痛に耐え、ゆっくりと進む痛ましいものであった。そして、脳が一瞬光り、黒ずんで力尽きた。この最期を見ると、なお水野の心中を考えることが憚られたのである。
そして、ガス人間・水野の行いは脅威であり裁かれるべきことではあるが、藤千代との結婚も夢見た真っ直ぐな愛情も描かれるために、より物悲しいラストシーンに仕上がっている印象を受けた。
また、藤千代も警察の調査の中で、自分の受け取った大金が犠牲の上で入手されたものであると分かった時、今までの優しさを受け止めながらも、水野に背を向けることを薄々決めていたのではないかと感じられた。
そのうえ、序盤に描写された闇夜の中で舞う藤千代の稽古姿は、妖しさを湛えた、美しくも幻想的な世界へ誘うようであった。これらの要素が、静かに作品の雰囲気を作り上げ、結末の印象を引き立てている風に感じられた。
さらに、藤千代の発表会での演目名は「情鬼」で、“じょうき➔蒸気➔気体➔ガス”をそれとなく連想させるのも、良いアクセントになっていた(「常温・常圧でも気体の物質がガスの定義であるから、蒸気=ガスではない」という指摘は不要である。あくまで“連想させる”という話であるから)。
あらためて、本作は鑑賞後に虚しさが立ち込め、胸に強く残る作品であった。怪獣が出てこない点で最初は物足りなさを憶えたものの、人間の感情が静かに渦巻き余韻を残していく話であったことから、最終的には怪獣が居なくとも見応えを感じられた。東宝特撮にはこうしたテイストの作品もあるのだと、むしろ新発見の興味深さすら憶えた。
次回は『美女と液体人間』(1958年、東宝)を視聴する。調べたところ、『ガス人間第一号』は“東宝変身人間シリーズ”3部作の1つであり、『美女と液体人間』はその第1作目であると分かった。やはり古い年代順に見ていくというスタンスで進めていくため、多少前後はしたがまずは3部作を全て見てから怪獣モノを視聴したい。
そして、『美女と液体人間』および『電送人間』では、『ゴジラ』『空の大怪獣ラドン』『キングコング対ゴジラ』で博士役を演じられている、平田昭彦さんが出演される。平田さんの演技は深みと見応えがあるため、楽しみである。
ほんじつも精一杯お癒やししますので、のんびりしていってください。よろしくお願いいたします。
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