お店一覧に戻る

大阪回春性感エステティーク 谷九店性感エステ

るり

るり

22歳 T154 B90(G) W58 H92



--/平均--
削除0件 未承認
るり
6月20日13時05分
by るり
るり(エステティーク谷九店) 【夏目漱石『元日』】

 どうも、ルリです。夏目漱石(1910年)『元日』を読んだ。本作は元日の新聞へ載せる原稿を12月下旬に書く慣例に対して、漱石の素直な料簡が綴られた作品である。漱石らしい落ち着き払った筆致で、本心と共に諧謔を交えてくるところに随筆ならではの面白味を感じられた。
 特に印象的であったのは下記である。



  *「雑録でも短篇でも小説でも乃至は俳句漢詩和歌でも、苟くも元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないに極っている。」※1
  「元日新聞へ載せるものには、どうも斯う云う困難が附帯して弱る。現に今原稿紙に向っているのは、実を云うと十二月二十三日である。家では餅もまだ搗かない。町内で松飾りを立てたものは一軒もない。机の前に坐りながら何を書こうかと考えると、書く事の困難以外に何だか自分一人御先走ってる様な気がする。それにも拘らず、書いてる事が何処となく屠蘇の香を帯びているのは、正月を迎える想像力が豊富なためではない。何でも接ぎ合わせて物にしなければならない義務を心得た文学者だからである。」※2*



 これらはいずれも、少し引いて物事や自身を眺める漱石の視点を感じられる。※1では、職業柄年内に元日の原稿を書き上げるという業界の掟に従いつつも、昨年の作品が元日の作に成り済ましていることを容認し切れない本心が窺える。同時に、そうした掟とそれに従う漱石自身に苦笑している印象がある。
 次に※2では現にその掟に従っている自らを俯瞰し、一片の元日らしさもない風景の中で自身は元日用の原稿を書いていることに、奇妙な感慨や茫漠とした落ち着きの無さを憶えている様子が生々しく伝わってくる。浮き足立つ心が微妙に空気に含まれているのを感じられるほど、漱石が抱いていたであろう違和感を嗅ぎ取れた。
 そのうえ、そうした妙な心持ちでありながらも元日らしい原稿を書ける自身を、「何でも接ぎ合わせて物にしなければならない義務を心得た文学者だから」と分析してみせるところには、少しの自嘲と少なからずの自負が確固として存在することが窺える。しかしながら、さり気ないこの自負は漱石の知識や優れた頭脳、研鑽に裏打ちされた「矜持」と言ったほうが適切かもしれない。
 

 これまで読んできた漱石の作品において、漱石らしい諧謔は『坊っちやん』(1906年)で強く見受けられたが、今回の『元日』でもまた一味違う妙味を楽しむことができた。元日らしさがあることを「何処となく屠蘇の香を帯びている」と表現するところにも、漱石独特の感性を窺えた感じがある。
 小説だけでなく随筆や詩、俳句など作品の種類によって漱石が見せる妙趣も異なるため、今後も心ゆくまで読み進めたい。



 ほんじつも精一杯お癒やししますので、のんびりしていってください。よろしくお願いいたします。
―――――――
《参考文献》
※1 夏目漱石(1910年)『元日』、青空文庫、1-2頁。
※2 同上、3-4頁。

彼女の
体験談

読む 書く

お電話の際に「フーコレを見た!」とお伝え頂くだけで、掲載店にフーコレの重要性を伝えることができ、当サイトが活性化しますので、ご協力をお願い申し上げます。