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大阪回春性感エステティーク 谷九店性感エステ
るり
22歳 T154 B90(G) W58 H92
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るり(エステティーク谷九店)
【『落第』】
どうも、ルリです。夏目漱石(1906年)『落第』を読んだ。本作は漱石が二松学舎や予備門で過ごした日々の様子や、信用を得るためにあえて予科二級に落第した経緯などが綴られた作品である。
前提として明治時代の学校制度は今と異なり、尋常小学校を卒業してからは多くの分岐がある※1。例として中学校や外国語学校などがあり、飛び級などで入学年齢は前後する。卒業後、帝国大学を志願する者はさらに予備門を経て進学した。
漱石は12,3歳から中学校や二松学舎(漢学塾)などで学んだ後17歳で予備門に入学し、予備門では約5年間学ぶこととなった。その予備門の最上級で漱石は建築科を選択したが、美術面以外での選択理由が漱石の思考を窺えて興味深かった。それが下記である。
「自分は元来変人だから、此儘では世の中に容れられない。世の中に立ってやって行くには何うしても根柢から之を改めなければならないが、職業を択んで日常欠く可からざる必要な仕事をすれば、強いて変人を改めずにやって行くことが出来る。此方が変人でも是非やって貰わなければならない仕事さえして居れば、自然と人が頭を下げて頼みに来るに違いない。そうすれば飯の喰外れはないから安心だと云うのが、建築科を択んだ一つの理由。それと元来僕は美術的なことが好であるから、実用と共に建築を美術的にして見ようと思ったのが、もう一つの理由であった」※2。
俗に変人とされる人が職業を決める際、リスクを覚悟でその性質を生かせる美術・服飾・芸能・学者・起業家を選ぶ例は散見される。
しかしながら、漱石は仕事に変人という性質を生かす気が皆無であり、その性質が仇となり得る世界に身を置きつつ、あえて需要に事欠かない仕事を選んでいる。奇抜さを前面に出す仕事ではなく、変人である点を直しも主張もせずまともに生きて行ける道を選ぶという、極めて現実的かつ合理的な発想のほうが、奇しくも余程風変わりに感じられる。
また、漱石は予備門では数学や動物・植物・鉱物などを英語で学んだが、元々漢学が好きで英語は大嫌いであった。そんな中で大学に入るべく予備門を志し、予備門へ入るために英語を学んだ経緯が下記である。
「元来僕は漢学が好で随分興味を有って漢籍は沢山読んだものである。今は英文学などをやって居るが、其頃は英語と来たら大嫌いで手に取るのも厭な様な気がした。兄が英語をやって居たから家では少し宛教えられたけれど、教える兄は癇癪持、教わる僕は大嫌いと来て居るから到底長く続く筈もなく、ナショナルの二位でお終いになって了ったが、考えて見ると漢籍許り読んでこの文明開化の世の中に漢学者になった処が仕方なし、別に之と云う目的があった訳でもなかったけれど、此儘で過ごすのは充らないと思う処から、兎に角大学へ入って何か勉強しようと決心した。」※3
好きな漢学を究めたとて西洋化する世の中でやっていけないだろう、と考えて大学と予備門を志すあたりにも、やはり現実的かつ客観的に物事を見つめる漱石の眼差しを感じられる。『こころ』や『坊っちゃん』、『従軍行』なども人物や心情、世相などの現実を鋭く観察しているからこその描写が点綴されているため、人柄が作品に反映されていることを感じられて嬉しくなった。
また、癇癪持ちの兄が英語嫌いの漱石に英語を教えるという回想も、漱石らしい真率な諧謔で面白い。しかしながら、現実的な立場から建築を学ぶも後に文学へ本格的に転向し、好きだった漢学のセンスを取り込んだ作品と漱石自身とが、今もなお人口に膾炙していることが殊に面白いのである。
ほんじつも精一杯お癒やししますので、のんびりしていってください。よろしくお願いいたします。
―――――――
《参考文献》
※1 文部科学省「学校系統図」〈〉文部科学省ホームページ、2026/06/24 20:39アクセス。
※2 夏目漱石(1906年)『落第』、青空文庫、9頁。
※3 同上、3頁。
どうも、ルリです。夏目漱石(1906年)『落第』を読んだ。本作は漱石が二松学舎や予備門で過ごした日々の様子や、信用を得るためにあえて予科二級に落第した経緯などが綴られた作品である。
前提として明治時代の学校制度は今と異なり、尋常小学校を卒業してからは多くの分岐がある※1。例として中学校や外国語学校などがあり、飛び級などで入学年齢は前後する。卒業後、帝国大学を志願する者はさらに予備門を経て進学した。
漱石は12,3歳から中学校や二松学舎(漢学塾)などで学んだ後17歳で予備門に入学し、予備門では約5年間学ぶこととなった。その予備門の最上級で漱石は建築科を選択したが、美術面以外での選択理由が漱石の思考を窺えて興味深かった。それが下記である。
「自分は元来変人だから、此儘では世の中に容れられない。世の中に立ってやって行くには何うしても根柢から之を改めなければならないが、職業を択んで日常欠く可からざる必要な仕事をすれば、強いて変人を改めずにやって行くことが出来る。此方が変人でも是非やって貰わなければならない仕事さえして居れば、自然と人が頭を下げて頼みに来るに違いない。そうすれば飯の喰外れはないから安心だと云うのが、建築科を択んだ一つの理由。それと元来僕は美術的なことが好であるから、実用と共に建築を美術的にして見ようと思ったのが、もう一つの理由であった」※2。
俗に変人とされる人が職業を決める際、リスクを覚悟でその性質を生かせる美術・服飾・芸能・学者・起業家を選ぶ例は散見される。
しかしながら、漱石は仕事に変人という性質を生かす気が皆無であり、その性質が仇となり得る世界に身を置きつつ、あえて需要に事欠かない仕事を選んでいる。奇抜さを前面に出す仕事ではなく、変人である点を直しも主張もせずまともに生きて行ける道を選ぶという、極めて現実的かつ合理的な発想のほうが、奇しくも余程風変わりに感じられる。
また、漱石は予備門では数学や動物・植物・鉱物などを英語で学んだが、元々漢学が好きで英語は大嫌いであった。そんな中で大学に入るべく予備門を志し、予備門へ入るために英語を学んだ経緯が下記である。
「元来僕は漢学が好で随分興味を有って漢籍は沢山読んだものである。今は英文学などをやって居るが、其頃は英語と来たら大嫌いで手に取るのも厭な様な気がした。兄が英語をやって居たから家では少し宛教えられたけれど、教える兄は癇癪持、教わる僕は大嫌いと来て居るから到底長く続く筈もなく、ナショナルの二位でお終いになって了ったが、考えて見ると漢籍許り読んでこの文明開化の世の中に漢学者になった処が仕方なし、別に之と云う目的があった訳でもなかったけれど、此儘で過ごすのは充らないと思う処から、兎に角大学へ入って何か勉強しようと決心した。」※3
好きな漢学を究めたとて西洋化する世の中でやっていけないだろう、と考えて大学と予備門を志すあたりにも、やはり現実的かつ客観的に物事を見つめる漱石の眼差しを感じられる。『こころ』や『坊っちゃん』、『従軍行』なども人物や心情、世相などの現実を鋭く観察しているからこその描写が点綴されているため、人柄が作品に反映されていることを感じられて嬉しくなった。
また、癇癪持ちの兄が英語嫌いの漱石に英語を教えるという回想も、漱石らしい真率な諧謔で面白い。しかしながら、現実的な立場から建築を学ぶも後に文学へ本格的に転向し、好きだった漢学のセンスを取り込んだ作品と漱石自身とが、今もなお人口に膾炙していることが殊に面白いのである。
ほんじつも精一杯お癒やししますので、のんびりしていってください。よろしくお願いいたします。
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《参考文献》
※1 文部科学省「学校系統図」〈〉文部科学省ホームページ、2026/06/24 20:39アクセス。
※2 夏目漱石(1906年)『落第』、青空文庫、9頁。
※3 同上、3頁。
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