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るり

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るり
8月29日13時20分
by るり
るり(エステティーク谷九店) 【『人物埴輪の眼』】


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 どうも、ルリです。和辻哲郎(1956年)『人物埴輪の眼』を読んだ。本作は古墳時代(3世紀後半〜7世紀前半頃)に作られた埴輪人形の造形から、当時の人々の感性や態度が考察された作品である。和辻は、埴輪人形が葬られる死者を慰める目的で作られたことについて述べたうえで※1、その造形に関して料簡を綴っているが、その評価は一貫して「稚拙」というものであった※2。
 だが、和辻は埴輪人形が稚拙な造形美術でありながらも、感情に訴えるものや異様な生気を有していると感じており、かつそうした不可思議な要素は埴輪人形の眼が創り出すものであると考察している※3。和辻によると、埴輪人形のまん丸く粗雑にくり抜かれた眼はその顔面に表情を現出させ、かつ遠くから見るほどその粗雑さが薄れて「魂の窓」としての機能が現れてくるという※4。「魂の窓」として機能した眼は顔面に生気を持たせ、埴輪人形全体を生かすのだとしている※5。なお、この考察は埴輪人形の眼がもし写実的に作られていたならば、遠くからその眼を視認することは難しいはずである、という和辻の見解に基づいている※6。
 さらに、和辻は古墳時代の人々が、遠くから見た時でも埴輪人形が生き生きとした表情を表すことを心得たうえで、それを作っていたのであるとしている※7。ここまででも十分興味深くて満足感があるが、この考察を経た後の結びがより興味深いものであった。それが下記である。



  *「……埴輪人形の製作者は人体を写実的に作ろうとしたのではない。ただ意味ある形を作ろうとしただけである。しかし意味ある形のうちの最も重要なものが人の顔面であったがゆえに、ああいう埴輪の人形ができあがったのである。その造形の技術はいかにも稚拙であるが、しかし「人」を顔面によって捕えようとする態度は、技術と同じに稚拙とはいえない。技術を学び取れば、それに乗って急にあふれ出ることのできるようなものが、その背後にある、と私は感ぜざるを得ない。従って、これらの稚拙な埴輪人形を作っていた民族が、わずかに一、二世紀の後に、彫刻として全く段違いの推古仏を作り得るに至ったことは、私にはさほど不思議とは思えないのである。」※8*



 ここでは、古墳時代の人々は「埴輪人形の眼を遠くから眺めても表情が分かるような作りにした」、「埴輪人形の粗雑な眼が、表情をその顔に表す“魂の窓”であることを知っていた」という埴輪人形の造形そのものについての考察を経て、そうした感性の根源へと迫っている印象がある。
 彼らが人体において顔面を最も重要なものと捉えたことが埴輪人形の造形の要因であると理解できるが、ここからは彼らが「人間の持つ生気は顔面に表れる表情によって醸し出される」ということと、ひいては「人間の本質はその「顔面」にある」ということを感得していたのだと感じられる。してみれば、生気は人間を人間たらしめるものであるから、それを宿す顔面を彼らが重要視するのも自然に思われる。
 また、素朴な埴輪人形を作っていた民族が、後に推古仏(推古天皇治世時代の仏像)という洗練された造形美術を造り上げたことについても、古墳時代の人々が有していた「人間を捉える態度や感性」が透っていると考えれば、「さほど不思議とは思えない」という和辻の所感にも得心が行く。その後さまざまな時代を経て多くの造形美術やキャラクターが誕生したが、現代日本においてもその底流を感じられるキャラクターや美術が溢れているのかもしれないと思うと、遥か昔の人々の感性が息づいている可能性につい浪漫を感じてしまった。



 ところで、埴輪の役割の一つに「死後の世界を表現する役割」というものが考えられているそうである※9。例として、6世紀後半の高崎の綿貫観音山古墳にある、鍬を担ぐ人物や子守をする人物の埴輪は来世での生活を支える人々を、狩猟・踊る人物・楽人達・相撲取り・性器露出埴輪等は来世での楽しみの姿を、そして人物埴輪とともに置かれた家形埴輪は来世での住居を表しているという見方がある※10。
 今も続く盂蘭盆は、死後の世界から先祖の霊が現世へ帰ってくるのを迎える行事であるが、これが日本に伝わった7世紀頃よりも前に「死後の世界(来世)での生活」という認識があったことは興味深い。村上ロックさんの「イタコ」という怪談では、亡くなった体験者の母親が死後も生前と変わらずパチンコ屋に通っているという描写があったが、天国や地獄といった特別な場所というよりは、生前と変わらない日々を送れる世界が死後に存在するのかもしれないと思われた。これは、綿貫観音山古墳に鍬を担ぐ人や狩猟をする人物、相撲取りなど生前に存在した職能集団の人物埴輪があることからも、充分考えられる可能性があると思った次第である。
 

 ほんじつも精一杯お癒やししますので、のんびりしていってください。よろしくお願いいたします。
―――――――
《参考文献》
※1 和辻哲郎(1956年)『人物埴輪の眼』、青空文庫、1-2頁。
※2 同上、3-4頁、6、8頁。
※3 同上、6-8頁。
※4 同上、6-7頁。
※5 同上、7頁。
※6 同上。
※7 同上、6-8頁。
※8 同上、8頁。
※9 増田美子(1996年)「人物埴輪の意味するもの」、『学習院女子短期大学紀要』、第34号、3頁。
※10 同上、10頁。

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