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大阪回春性感エステティーク 谷九店性感エステ
るり
22歳 T154 B90(G) W58 H92
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るり(エステティーク谷九店)
【『崇高と美の起源』】
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どうも、ルリです。エドマンド・バーク(2024年)『崇高と美の起源』、大河内昌訳を230頁中33頁まで読んだ。バークは1729-1797年を生きたアイルランド出身の哲学者・政治家で、フランス革命を痛烈に批判した人物として知られる。バークの書は10年以上前に『フランス革命の省察』を読もうと試して挫折したのが最後であったが、その甚深なる発想・洞察・思考からは、私のような常人との懸隔を感じた記憶がある。
この『崇高と美の起源』は、そんな深遠なバークの思想と美学を知ることのできる作品であるが、表面的には理解できたような気がしていても真には理解できてないのではないかと、読んでいてなんとなく不安を抱いてしまった。昔から思うのだが、こうした思想・哲学系の書物を滞りなく読めて理解できる人は、本当にセンスがある気がする。センスのない私がここまで読み進めて、自分なりに印象深く感じた箇所が下記である。
*「人間の精神は、感覚によって受け入れた順序と仕方にしたがって事物のイメージを自在に再現したり、それらのイメージを新しい仕方や違った順序で結合したりする、独立したある種の創造的な力をもっている。この力は想像力と呼ばれ、機知、空想、創意などと呼ばれるものはみな、それに属している。だが、想像力は、完全に新しいものを生み出せないということは述べておかねばならない。想像力は感覚から受け取った観念の配列を変えることができるだけである。さて、想像力は快と苦のもっとも広大な領域である。なぜなら、われわれの恐怖、われわれの希望、われわれのすべての情念の領域が、快と苦に結びついているからである。……想像力は感覚のたんなる代理であるのだから、現実によって感覚が楽しんだり不快になったりするのと同じ原理によって、想像力はイメージによって楽しんだり不快になったりすることしかできない……。」※1*
この箇所から、私は「これが天才の頭の中身か。これが天才の視点か」と圧倒された。というのも、実体のない想像力というものの定義を、「感覚から受け取った観念の配列を変えてイメージを自在に再現したり、それらのイメージを新たに結合したりする創造的な力」と言う具合に、精神の機巧として説明している印象があるためである。それ以前に、「感覚から観念を受け取る」「観念の配列を変える」といった不可視なものの働きを具体化して、その動きを各段階毎に追えるところからして、発想や思考の入口が非常に高度であると感じられる。
恐らく、バークは自身もしくは他人を深く観察し、「想像する時精神はどう動いているのか」と、詳細にその機序や挙動というものを捉えていたのだと思われる。そうして観照を重ねていくことで、知見や自身の思想といったものを形成していったのだと考えられるが、バークはこの眼差しを想像力だけではなく、国際情勢や事件、歴史といったものにも向けていたのではないかと思えてならない。
実体の有無にかかわらず、何かを捉える時にその機巧的な部分を観察することで、少しでもバークの視点に近づけるのではないかと考えてしまった次第である。難解なため時間はかかるが、今後もバークの頭の中とその動きを観察するため読み進める所存である。
ほんじつも精一杯お癒やししますので、のんびりしていってください。よろしくお願いいたします。
―――――――
《参考文献》
※1 エドマンド・バーク(2024年)『電子書籍版平凡社ライブラリー965 崇高と美の起源』、平凡社、大河内昌訳、21頁。
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どうも、ルリです。エドマンド・バーク(2024年)『崇高と美の起源』、大河内昌訳を230頁中33頁まで読んだ。バークは1729-1797年を生きたアイルランド出身の哲学者・政治家で、フランス革命を痛烈に批判した人物として知られる。バークの書は10年以上前に『フランス革命の省察』を読もうと試して挫折したのが最後であったが、その甚深なる発想・洞察・思考からは、私のような常人との懸隔を感じた記憶がある。
この『崇高と美の起源』は、そんな深遠なバークの思想と美学を知ることのできる作品であるが、表面的には理解できたような気がしていても真には理解できてないのではないかと、読んでいてなんとなく不安を抱いてしまった。昔から思うのだが、こうした思想・哲学系の書物を滞りなく読めて理解できる人は、本当にセンスがある気がする。センスのない私がここまで読み進めて、自分なりに印象深く感じた箇所が下記である。
*「人間の精神は、感覚によって受け入れた順序と仕方にしたがって事物のイメージを自在に再現したり、それらのイメージを新しい仕方や違った順序で結合したりする、独立したある種の創造的な力をもっている。この力は想像力と呼ばれ、機知、空想、創意などと呼ばれるものはみな、それに属している。だが、想像力は、完全に新しいものを生み出せないということは述べておかねばならない。想像力は感覚から受け取った観念の配列を変えることができるだけである。さて、想像力は快と苦のもっとも広大な領域である。なぜなら、われわれの恐怖、われわれの希望、われわれのすべての情念の領域が、快と苦に結びついているからである。……想像力は感覚のたんなる代理であるのだから、現実によって感覚が楽しんだり不快になったりするのと同じ原理によって、想像力はイメージによって楽しんだり不快になったりすることしかできない……。」※1*
この箇所から、私は「これが天才の頭の中身か。これが天才の視点か」と圧倒された。というのも、実体のない想像力というものの定義を、「感覚から受け取った観念の配列を変えてイメージを自在に再現したり、それらのイメージを新たに結合したりする創造的な力」と言う具合に、精神の機巧として説明している印象があるためである。それ以前に、「感覚から観念を受け取る」「観念の配列を変える」といった不可視なものの働きを具体化して、その動きを各段階毎に追えるところからして、発想や思考の入口が非常に高度であると感じられる。
恐らく、バークは自身もしくは他人を深く観察し、「想像する時精神はどう動いているのか」と、詳細にその機序や挙動というものを捉えていたのだと思われる。そうして観照を重ねていくことで、知見や自身の思想といったものを形成していったのだと考えられるが、バークはこの眼差しを想像力だけではなく、国際情勢や事件、歴史といったものにも向けていたのではないかと思えてならない。
実体の有無にかかわらず、何かを捉える時にその機巧的な部分を観察することで、少しでもバークの視点に近づけるのではないかと考えてしまった次第である。難解なため時間はかかるが、今後もバークの頭の中とその動きを観察するため読み進める所存である。
ほんじつも精一杯お癒やししますので、のんびりしていってください。よろしくお願いいたします。
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《参考文献》
※1 エドマンド・バーク(2024年)『電子書籍版平凡社ライブラリー965 崇高と美の起源』、平凡社、大河内昌訳、21頁。
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