放課後クラブ(ハレ系)トクヨク
榊ノ下さえ
25歳 T165 B85(E) W58 H90
験
談

榊ノ下さえ、19日目。
放課後。教室には私と先生の二人だけ。
昼間はうるさかった場所なのに、今は音が少なくて机と椅子の輪郭がはっきりしている。
真っ赤なテストの補習。8点の続き。
黒板には数字が並んでいて
先生は淡々と説明している。
私は椅子に座ってうなずいている。
分かっているようで分かっていない。
だいたい、いつもそうなのだ。
そしてたった今、急に思い出した。
今日はバイトだった。3日連続の初日。
まずい。
スマホを膝の上に隠して
こっそり連絡する。
「すみません、少しだけ遅れます」
送信するとすぐに既読がついた。
胸の奥がほんの少し軽くなる。
でも軽くなったぶん
時間の重さが増えた気がした。
急がないといけない。
先生はまだxとかyとかの話をしている。
アルファベットが黒板に増えていく。
ここで私は、決めた。
地頭の本領を出す。
念能力を使う。
息を一つ、吸う。
心の中で唱える。
《地頭開脳式(フルオープン)》
頭の奥で何かのフタが開いたような気がした。
黒板の文字が意味ではなく形として見える。
そしてそれは全て正しいのだ。
私はノートも見ずに問題を書き写し
数字を置いて式を作る。
書く手が止まらない。
先生が途中で黙った。
少しだけ間が空く。
「……合ってる」
よかった。
何が合っているのかは分からないけど
合っているなら大丈夫。
そのままの勢いで残りも全部解く。
紙が埋まると時間が縮む。
先生が小さく咳をすると
「今日はここまででいい」と言った。
その声を聞いた瞬間
私はもう半分教室の外にいた。
立ち上がると、椅子が小さく鳴る。
「ありがとうございました」
そう言いながら鞄を肩にかける。
引き戸を開けた瞬間、風が入ってくる。
放課後の匂い。少しだけ甘くて、埃っぽい。
私は一歩、廊下に出る。
その拍子に鞄の横ポケットがわずかに開いた。
そこから小さな紙が1枚滑り落ちる。
白い角が見えて、くるりと回って床に落ちる。
乾いた音も立てずに。
私は気づかない。
視線はもうまっすぐ廊下の奥。
頭の中はどうやったら効率よく動けるかで
いっぱいいっぱいだ。
「榊ノ下」
先生の声がした気がする。
「何か落としたぞ」
でもちょうどそのとき、別の生徒の声が遠くでして、靴音も重なって廊下が少し騒がしくなった。
私は足を止めない。
階段を下りて曲がり角を抜けて
教室はもう見えなくなる。
落とした紙のことも。
先生の声も。
今の私には、もう追いつかない。
榊ノ下さえの足音が消えたあとも
教室にはしばらく空気が残っていた。
開けたままの扉から
廊下の気配だけが細く入り込んでくる。
先生は一瞬そのまま立っていたけれど
やがて諦めたように小さく息を吐いた。
そして落とした何かに近づいてしゃがむ。
床に落ちているのは小さなカードだった。
指先でつまみ上げると。
紙なのにしっかりしている。
少し厚みがあって角がきれいに丸い。
色はやわらかいピンク。淡くて、甘い色。
表には整った文字が並んでいる。
店名。その下に、名前。
さらに小さく電話番号と住所。
情報が順番通りに、きちんと並んでいる。
先生はそれを見てようやく分かる。
「名刺…?」
学生の持ち物にしては変だ。
もう一度、上から読む。
「メイドin福岡……」
それから名前のところで止まる。
少し間が空く。
そして、低くはっきりと声に出す。
「……木下、さえ」
誰もいない教室にその名前だけが落ちる。
もちろん返事はない。
窓の外で、風が鳴る。
その頃、私は校門を出て走っていた。
鞄がほんの少しだけ軽い気がした。
でも理由は分からないし、考えもしない。
バイトに遅れないほうが大事だった。
榊ノ下さえ、19日目。
そこにいるはずのない名前が
教室に残っていることをまだ知らない。
榊ノ下さえ
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